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マニラ通信 Manila Life
2000年11月から2004年10月までのマニラ駐在時代を旧ブログから移しました。
2021年2月9日火曜日
2021年1月30日土曜日
2002年9月3日火曜日
ボラカイ Boracay
2002年9月に入って夏休みを取り、昨年のエルニドに続いて、倅と娘とボラカイに行って来ました。 ボラカイはエルニド、セブと並んでフィリピン3大リゾートの一つです。 写真の年月日が2001年になっているのは、デジカメの設定ミスです。
今回はAsian Spirit(アジアの魂)を利用しました。
マニラの国内線空港より、カティクラン空港(ボラカイ島の隣にあるパナイ島にある最寄空港)まで約1時間のフライト。
待合室は冷房が効き過ぎ。また当然のごとくミス、遅れがあり、待ちくたびれている倅と娘。8時30分のフライトなのに8時30分のフライトが無い。カウンターで9時30分のフライトに変更。9時30分発が30分遅れで結局3時間待合室で待つ事となった。
4発のプロペラ機。
はにかみながセーフティジャケットの説明をするアテンダント。彼女達は日に2回フライトするとの事。
パナイ島カティクラン空港近くのボート乗り場よりボートに乗ってボラカイ島Club Panolyへ約20分。途中ボラカイのメインビーチ(4kmの白砂)を通過。
Club Panolyは島の西側の孤立したリゾート。
手作りヨットに乗って、プカシェルビーチへ。割高の貝殻アクセサリーを買わされている娘。
ヨットオーナー「リッキー」(右:好青年であった)とヘルパー(左)。この後も何回か利用。
親子3人でパチリ。
Club Panolyの玄関。
Club Panoly内を散策する娘。
今回宿泊したコテージ。
朝食を待つ倅と娘。
食堂からプール、海を臨む。
岬で。
ボラカイのメインストリート。舗装なし。
ボラカイのメイン商店街。ごちゃごちゃしていて楽しい。
こちらは観光客向けの土産店。
2002年5月15日水曜日
2002年4月29日月曜日
坂本社長来比
坂本社長、FXAP吉田社長がマニラに来られ、PFXの業績レビューが行われました。 前列左より、FXAP吉田社長、坂本FX社長、ロミーFXP社長 。後列左より、松村、金岡営業担当、アイビー人事長、ジョーCFO
本社から南へ車で40分のところにあるアラバンオフィスに社長が立ち寄られセールスと一緒にパチリ。
こちらはコールセンターです。坂本社長と吉田社長がワークコントローラーにいろいろ質問をされていました。
業績レビューの終わった翌日、サウスウッズカントリークラブでラウンド。18番、坂本社長がパットを決めた直後。
2002年2月21日木曜日
2001年10月15日月曜日
マニラあれこれ
排ガスによる大気汚染がひどい。遠くのビルが霞んでいるのが分かるでしょうか。 マニラは風があまり無く、空気がいつも淀んでいる。 窓を開けて部屋の空気を入れ換えたいところだが、窓を開放したことはない。中央のビルはMakati市庁舎。
デ・ラサール大学の近くのマニラブランチのメンバー。
カストマーエンジニアの出発風景。
ユニフォームはベージュとブルーの2種類を曜日によって替えている。
◆カフェラテ(小)55ペソ(\125.5)、 日本\280(2.21倍)
◆カフェラテ(中)65ペソ(\149.5)、 日本\370(2.47倍)
◆エスプレッソマキアート(小)45ペソ(\103.5)、 日本\250(2.5倍)
午前6時、西に火事発見。かなり燃えているので2,3時間前の発生かもしれない。
午前7時30分、火は東に移動、まだ燃えている。
2001年3月1日より20日までストライキがありました。このスナップはストが解決した後、労働協約にサインした時のロミー社長(左)とゴンザレス組合委員長(右)。
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